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社会公民分野 【戦後の首相】(カテゴリー:社会)

中学入試・高校入試頻出の戦後の首相を紹介します。
特に「戦後の昭和史」を解説します。

戦後の日本は

日本の民主化(日本国憲法公布・サンフランシスコ平和条約)
   ↓
国際社会の復帰(日ソ共同宣言・国際連合加盟)
   ↓
経済の復興と躍進(所得倍増計画・東京オリンピック)
   ↓
韓国・中国国交回復と小笠原・沖縄領土返還

の流れになります。
用語だけ覚えていると繋がりが分かりづらいですが、流れを理解すると、とても理にかなっています。

 吉田茂:アメリカ占領下で民主化政策と独立を成し遂げる

おもな業績:1946年日本国憲法公布・農地改革
      1947年日本国憲法施行・教育基本法・労働基準法
      サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約 

 吉田茂は元駐英大使で世界情勢が良く分かっている人でした。
そのため日本は早期講和を実現しようとしていました。そのため戦前の軍部に命を狙われたりしていました。 

ポツダム宣言受諾後、日本は連合国に降伏しました。
最初のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の日本に対する要求は過激なもので、当時の日本はとても要求をのめるものではありませんでした。
そのため、総理大臣が次々退陣して吉田茂が総理になりました。吉田茂は得意の英語と交渉力でGHQの最高司令官のマッカーサーと交渉し、できるだけ日本がのめる内容にしていきました。 

実は民主化(日本国憲法公布)の前にやるべきことがあって、それは「国体護持」と言われるものでした。それは「天皇制をどのように護るか」というものでした。現在、天皇陛下は信頼され尊敬もされていると思いますが、当時は天皇に戦争責任を問う声も大きかったのです。吉田茂は「臣茂」と自らを言うようなところがあり、天皇を大変尊敬していました。そこで何とか天皇制を護るようにしました。 

 当初、GHQは天皇制を解体しようとしていましたが、思いのほか国民から慕われていること、冷戦構造で日本をアメリカの味方にする場合、天皇制をなくすより利用する方向へ方針を変更していきます。吉田茂はGHQの意向をくみ取りうまく天皇制を残すことに成功しました。(幣原内閣の外務大臣時代も含みます) 

 日本国憲法の最大の特徴である「平和主義」は実は吉田茂の軍部嫌いも影響していると言われています。先程説明したように、吉田茂は戦前軍部に捕まったりしているのでとても軍隊を嫌っていました。
日本が占領されて6年ほど経ち、国民の間にも不満が出てきたため独立の機運が高まりました。GHQも日本の国民に嫌われる前に独立したほうがよいと判断し独立を認めるようになりました。しかし、その間に朝鮮戦争が発生し、一時混乱しましたが何とか独立できよるようになりました。サンフランシスコ平和条約で独立を果たし、軍隊を持たないため、日米安全保障条約で引き続き日本にアメリカ軍が基地を置くことになりました。 

 吉田茂によって戦後の大方針である「軽武装・経済重視」が固まりました。 

 鳩山一郎:国際社会への復帰を実現

おもな業績:1956年 日ソ共同宣言・国際連合加盟 

日本が独立を果たし、経済的にも復興していきます。しかし、まだ国際連合の加盟が行われていませんでした。それは常任理事国の1つであるソ連が日本の国際連合の加盟に反対しているからです。サンフランシスコ講和条約ではソ連が参加していないためでした。当時はまだ戦争が終わってもソ連に抑留されている日本人が大勢いました。
また、北海道では漁船が突然拿捕されることもありました。そのため、ソ連と平和条約の締結に向けて交渉しようとします。 

 交渉は難航しますが何とかまとまります。「日ソ共同宣言」です。
北方領土問題もあったため平和条約は締結できませんでしたが、晴れて国際連盟に加盟することができました。 

 池田勇人:日本経済の復興と所得倍増計画

おもな業績:1960年 所得倍増計画(10年間GNPを2倍)
      1964年 東海道新幹線 東京オリンピック 

 池田勇人は元々大蔵官僚でしたが、戦前は病気になってしまい、出世が遅れていました。しかし、戦後になり出世が遅れていたことが幸いしました。出世した人たちがGHQにどんどん公職追放されてしまったからです。そこで出世して吉田茂の腹心として政界入りします。政界後、いきなり大蔵大臣(今の財務大臣)に抜擢されます。このとき池田勇人を大蔵大臣にするよう動いたのが田中角栄です。ちなみに池田勇人は佐藤栄作とは高校の同級生です。  

所得倍増」はとても有名なスローガンです。池田勇人の前の内閣で「安保闘争」がおこります。安保闘争とは日米安全保障条約に反対する人たちがデモを行い、日本は大変混乱しました。そのため日本全体が大変暗くなってしまい、明るくしたい気持ちが国民に芽生えてきました。そこに分かりやすく「10年でお給料を2倍にする」と打ち立てたのが池田勇人です。  

同時は高度経済成長の真っ只中です。今と違って若い人があふれて、仕事もたくさんありました。モノを買いたい、レジャーをを楽しみたいと思い始めたのもこのころです。新三種の神器(カラーテレビ・クーラー・カー(車)などです。実際は10年かからず7年ほどで達成しました。1968年にはGNPが世界2位となり名実ともに「経済大国ニッポン」となります。 

 佐藤栄作・田中角栄:国交回復と領土返還

おもな業績:1965年 日韓基本条約(韓国との国交回復) 
              1967年 小笠原諸島返還 
              1970年 非核三原則(74年にノーベル平和賞) 
              1972年 沖縄返還

おもな業績:
日中共同声明(中国との国交回復)*田中角栄 

民主化と独立、経済成長が行われ安定した社会ができつつありましたが、まだ課題はありました。
1つは領土問題。小笠原諸島と沖縄の国土復帰です。特に沖縄の国土復帰は佐藤栄作の悲願でした。沖縄は太平洋戦争末期の戦争被害が大きく、日本軍兵士、民間人合わせて20万近くの人が亡くなりました。その後、沖縄はアメリカに占領され、日本でありつつ、日本ではないような形になっていました。アメリカとの交渉も難航しましたが何とか祖国復帰を果たしました。

もう1つ韓国と中国の国交回復です。今でも日本に対して歴史問題をかかえているくらいですので、交渉は難航しました。韓国の経済援助は当時の金額で有償無償合わせて5億ドル最終的に11億ドル支払いました。5億ドルは当時の韓国の国家予算の2年半分にあたります。また、日本が韓国に残してきた財産は放棄しました。

佐藤栄作は非核三原則を唱え、後にノーベル平和賞を受賞しました。
「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」です。

ここまでで戦後30年経たないまでを振り返りました。こうしてみるととても激動の歴史ですね。
他にも公害問題やオイルショック、冷戦構造など注目するべき課題はありますが、ひとまず大まかな流れはつかめると思います。

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